焼き物の種類


古九谷の謎

全国の陶器で知っているものを挙げてみてください、と言われると、必ずどの人も思いつくであろう九谷焼。

その九谷焼を語る上で必ずといってよいほど付いてくるのが古九谷の謎についてです。

現在でも議論の渦中にあるという古九谷の謎とは一体どんな話なのでしょうか・・・

 

九谷焼の本拠地である石川県、その山中町九谷の地で色絵磁器を焼いていたという内容を記した文献があり、発掘調査もそれを裏付けたのですが、古九谷様式に合致するような出土品は少なかったようです。

逆に佐賀県の有田では古九谷様式に一致する陶器の破片が多く発見されているため、古九谷は実は有田町で焼かれたものではないのか、という説が主流となっているのです。

 

文献によると、明暦年間に加賀大聖寺藩主が後藤才次郎という人に命じて山中町九谷で磁器などを焼かせた、とのことです。

昭和45年からの発掘調査により、江戸初期の登り窯の存在と、磁器が焼かれて色絵素地が作られていたことも確認できましたが、それが果たして古九谷なのかどうなのかは確認できなかったようです。

 

そのため、古九谷はすべて有田で焼かれていたとか、絵付けだけを九谷で行なったなど、さまざまな説が生まれたのです。

後藤才次郎が起こした窯は、40年ほどして忽然と廃窯になってしまい、これも幻と呼ばれる所以なのでしょう。

 

全国の陶器にまつわる謎には興味深い話がいろいろとあります。

九谷焼の謎めいたスタート、さて古九谷の窯はいったいどこに・・・?